不安と不満の解決法?2014年1月の幸運日

いよいよ年が変わろうとしています。

年末になると大掃除をしたり、年越しの準備で大忙し。
年が明ければご来光を拝む人、初詣に出かける人様々ですね。

年末年始に関わらず私たち日本人は何かにつけて縁起を担いだり
占いなどで運勢を気にしたり・・・そういうことが好きな人が多いようです。

かくいう私も大好きだったりしますが、じゃあ心底信じているのかと聞かれると
どうも首を縦に振りにくい、かと言って気にしないか?と聞かれれば気になっちゃう。
何なんでしょうね・・・??

私たち人間は肉体と精神から成り立っていますが
どちらも常に変化していて、ずっと健康でいるということはありえません。

肉体病気になったりケガをすればわかりますが
精神は目に見えないだけに放っておかれることが多いように思います。

精神のケガや病気の元は肉体同様【疲れ】ですが、その疲れの基は
『不安』『不満』なんですね。

『不満』は起こったことに対しての鬱屈ですから過去の事柄。
『不安』はこれからどうなるのだろうかという未来に抱く感情です。

『不満』は趣味やスポーツ、お酒などで晴らすことができます
『不安』はまだ起こってもいないことですから、晴らしようがありません
だから占いや縁起を担いだりすることで気を休めるのだろうと言う事です。

そう、所詮は「気休め」なんでしょうね。

a1380_001503 光芒

でも未来に対して何の憂いも心配もない人なんて存在するのでしょうか?

かと言ってまだ在りもしないことに
クヨクヨしているのも毎日が暗くなりそうです。

超楽観主義なのも、
あまりに悲観的なのも
いかがなものかと思うんですね〜。

私はどうせなら、何でも楽しみたいと思っています。

そして「笑う門には福きたる」を心底信じていたりします。

宝くじを買うのなら、確率変動するわけでなくても縁起の良い日に購入したいです。

都合の良いことだけ縁起を担ぐタイプなので(^_^;)

『思い立ったら吉日』を最優先して日が悪くても、方角が悪くても突っ走ることもあります。

世の中の全てが理屈で成り立っているわけではないからこそ

「縁」や「運」「気」「心」といった目に見えないものが気になるんだろうと思います。

 

手帳も新しくなることですし、縁起の良い日をチェックしてみませんか??

何事も囚われたらつまらなくなっちゃいますので
楽しんでいただきたな〜と思います。

2014年1月の幸運日

一粒万倍日・・・ 4・5・8・17・20・29
天赦日   ・・・ 16
寅の日   ・・・ 7・19・31
巳の日   ・・・ 10・22
己巳の日  ・・・ 1月は無し

気をつけたい日

不成就日 ・・・ 14・22・30 (22日は巳の日と、30日は大安と重なっています)

元旦は新月でもあり、本当に良いスタートを切りたいと思っています。
(気になる方はこちらへどうぞ⇒http://serendip.sub.jp/official/?p=310
先が見えない時代だからこそ、この年末に不満は解消してリセットし、
余計な不安や心配が思い浮かばない位、希望に満ちあふれた状態で新年を迎えましょう。

ワクワクするような予定で幸運日を埋めてみましょうね♫

最後までお読み頂きありがとうございます。
良いお年をお迎えくださいネ♫


こんな人知りませんか?

皆さん、こんな女性を知りませんか?

・37歳の働く女性、すっぴんだけど美人。
・装飾より機能を重視し、流行りは意識しないのにセンスがいい。
・フォアグラよりレバ焼きを好み、プールに行けばいきなりクロールを泳ぐタイプ。

名前は「秋野つゆ」さんといいます。

ご存知の方もいるかも知れないですね。
本にもなりそこそこ有名で、先日もテレビで紹介されていました。

この女性、実は架空の人物です。

株式会社スマイルズの経営する『soup stock Tokyo』では
この秋野つゆさんが好んで食べるか?つくりそうか?
という基準で新商品の開発を行なっているんですね。

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仕事では、よくターゲティングという言葉を耳にすると思います。
そしてそれは絞り込めば絞り込むほど良いとされています。

これをペルソナマーケティングと言うそうですが、面白いですね。

架空の顧客の行動パターンやニーズをイメージして
品揃えも接客方法もPR戦略も決めていく手法です。

誰に何をどのように提供するのか。
どんな問題をどんな形で解決していくのか。
どんな価値があり、ふさわしい対価はどれくらいでどのように受け取るのか。

これはどんな仕事でも基本のき。
なのについ、提供するサービスや商品に自信があればあるほど陥ってしまう。
『全ての人に当てはまる』 『誰もが必要とするはず』という思考の罠。

私も長く「こんな症状をお持ちの方は全て」〜なんて思っていて
絞り込むのにウンウン唸っていた日々があります。

セミナーなどで、人には「理想の人物像を描いてみましょう、架空でもいいですから」
なぁ〜んて、しばしばやっていたにも関わらずですよ。

選択基準を持つということはぶれなくていいですね。
いろんなところで応用もできそうです。

そのへんのところを2〜3回に分けてメールマガジンで掘り下げてみたいと思います。
(購読希望の方は↓下にある画像をクリックして申し込みフォームからお願いします。)

最後までお読み頂いてありがとうございます。

今日もハッピーな一日を♫


来年への夢祈願

10月19日は満月でした。そして翌日20日は恵比寿講でしたね。

地方によっては旧暦で11月に行うところもあるようですが、私のいる愛知県では熱田神宮で恵比須大祭が行われたようです。

恵比寿大祭ではそれまでに準備した来年の目標・祈願などを便箋にしたため
神様に請願をしに行きます。

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二通同じものをつくり、参拝の後一通は自宅の神棚
もしくはタンスの引き出しに、もう一通は手帳に挟んだり、カバンに入れて常に持ち歩きます。

また、この日は『誓文払い』と言ってこれまでにやむを得ずついた嘘などの罪を払ったり、ここまでに細々と祈願してきたことなどを一旦精算、清め払う風習のことです。

この辺は満月のおまじないと似ていますね。
さてさて、私としたことが・・・今回うっかりしてしまい、
何も手をつけられぬまま来てしまいました。

でも慌てない。地方によっては旧暦にそって11月に行うところもあるようです。
お参りするのは近所の氏神様に、日頃の感謝を述べるとともに請願しに行こうと思います。

旧暦では11月22日、最終石見の国一宮の物部神社の鎮魂祭が11月24日にあり、
この日が最終締切りとなるようです。

何でも物事が上手く運ぶにはタイミングが大事

来年のことを言うと鬼が笑うと言いますが、神様に来年の決意を誓うタイミングは今なんです。まして今回は式年遷宮がありましたから、きっとパワーも絶大かも知れませんよ!?
古来から伝わる風習やおまじないには先人たちの知恵や想いが詰まっています。

困った時の神頼み的に、祈りを捧げるだけでは何も変わらないかも知れません。
でも目標を立てても実行に移す、行動するということが中々難しいとおっしゃる方も多いです。

いつもセミナーなどで、「最初の一歩は小さければ小さい程良い。」
「最初のハードルは低くしましょう。」とお話させてもらっています。

ここで《おまじない》の出番なんですね。

おまじないは何らかの《行為》を伴いますから、ちょっとした行動を起こすことになるわけです。

そして『験を担ぐ』ということは『深層心理に働きかける』ことになるわけです。
盲信したり、これで大丈夫とばかり高を括ることはナンセンスですが、
次への一歩に繋げるための『弾みをつける』という意味において、
とても有効だとは思いませんか??

占いもおまじないも風習も、上手に活用し幸せへの追い風としたいものですね。


ネット 拾い話3『人生の壺』

【拾い話】

ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。

その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。

「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。

「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。

そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

そしてもう一度聞いた。

「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。

一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、
今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。

それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれでいっぱいになったか?」

学生は声を揃えて、「いや」と答えた。

教授は水差しを取り出し、
壺の縁までなみなみと注いだ。
彼は学生に最後の質問を投げかける。

「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。

「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」

「それは違う」と教授は言った。
…⁇ ⁇
(皆さんは何だと思います?)
教授は言いました。

重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、
その後二度とないという事なんだ」

君たちの人生にとって”大き岩”とは何だろう、と教授は話し始める。

それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり
自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。
さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。

もし君達が小さな砂利や砂や、
つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なことは入らなくなる。

〜 〜 〜 〜 〜

…貴方の大きな岩は何ですか?


拾い話2『運命の扉を叩き続けよう』

これはネットで拾った話ではありません。

結構有名でご存知の方も多いかも…?

でも壁にぶち当たった時に、こうした話は私たちに勇気と希望を与えてくれると思います。

記憶をたどりながらの私なりの記述ですのでご了承くださいネ。

******

ある実在の男の話。

父を早くに亡くし、大変貧しかった彼は、工場で働く母を助ける為に、6歳から料理を作り、幼い弟妹の面倒を見ていました。

僅か10歳で、農場に働きに出たので小学校しか出れず、
その後は独学で学びながら多くの仕事に就きます。

40種に渡る転職を繰り返し、タイヤのセールスをしている時に知り合った
石油会社の支配人に勧められ、ガソリンスタンドで独立したのは30代後半でした。

彼は真心を込めたサービスで利益を得る事を信念としていましたが、
大恐慌と干ばつにより、農民への売掛金が回収出来ずに倒産してしまいます。

その後も事業はことごとく失敗。正に挫折の連続で半生が過ぎていきます。

失意の中、物置を改造し、僅か6席の小さなレストランを開きます。

片腕である愛する息子を失ったり、火事に見舞われたりの不幸も乗り越えて
懸命に働きました。

素材にこだわった手作りの味と、細やかなサービスで、
いつしか行列が出来るほどになりました。

しかし運命はまたも彼を翻弄します。

新しいハイウェイの建設により車の流れが変わり、客足が途絶えてしまいます。

そして店を手放す事になりますが、負債を清算した手元にはいくらも残りませんでした。

彼の財産は、一台の古びた車と鍋、
そして子供の頃母が作ってくれた味を再現したレシピだけ…。

この時彼はすでに65歳。
年金は余りに少なく、とても生活が出来ない…。

だけど研究を重ねて作り上げた母の味をより多くの人に味わってもらいたい。
何より美味しいモノを食べた時の幸せそうな人々の笑顔をもっともっと広げていきたい。

彼は一念発起して、そのレシピを売る事業を始めました。

当時はまだFCの概念が無い時代。
レシピを教える代わりに売上の一部を支払ってもらうと言うビジネスが
そうそう受け入れられるはずもありません。

来る日も来る日も、レストランやドライブインに飛び込み、ある時はバカにされ、
ある時は蔑まれ…断わられ続けて、手持ちの資金も底をついて来ました。

しかし彼は諦めませんでした。

彼は決して人生を諦めなかった。

やっと彼の提案を受け入れてくれたレストランはなんと‼ 1010件目のレストランだったのです。

もしも彼が1009件目で諦めていたら…。

今のケンタッキーフライドチキンはありません。

彼の名前はハーランド・デヴィッド・サンダース。

余りにも有名な実話です。

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11月21日は始めて日本にケンタッキーフライドチキン1号店が出来た日だそうです。

人生はいつ花開くかは神のみぞ知る。
決して諦める事無く、運命の扉をノックし続けたいものですね!

どんなに重い扉でも、扉である限り必ず開くものだから…。


ネット 拾い話 1 『招待状』

これは一時期ネットで話題になっていたお話です。

よく、真実なのか創作なのかの議論が起きたりしますが
この手の話に何かに向かって人を扇動しようという意図があるとも思えず
誰か特定の人物や社名が出ているわけでもないので
あまり神経質になる必要は無いよう思うんですね。

人生がうまくいっている人は「感動の仕入れ」が上手です。
見たこと・知ったこと・そこから感じることを味わってみることが
自分の感性を上げる秘訣だと思います。

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ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。

その先生が五年生の担任になった時 一人、服装が不潔でだらしなく、
遅刻をしたり、居眠りをしたり 皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。
先生はどうしてもその少年を好きになれず いつからかその少年を 毛嫌いするようになった。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを 記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
そこにはこう書いてあった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 弁口もよくでき、将来楽しみ」とある。
間違いだ。他の子に違いない。 先生はそう思った。

二年生になると 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」 と書かれていた。

三年生では 「母親の病気が悪くなり、疲れていて、 教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には 「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると 「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、 深い悲しみを行き抜いている 生身の人間として
自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない? わからないところは教えてあげるから」。

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。 六年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから六年。
またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから 感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を 救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。

届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母親の席に座ってください」 と一行、書き添えられていた。

先生は嬉しくて涙が止まらなかった。

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僕は、このお話を日本中の先生に読んでもらいたいです。
日本中の大人に読んでもらいたいです。 ダメな人なんていない。
可能性のない人なんていない。
僕たち大人が、ダメだと決めつけてしまう考え方があるだけで…。