拾い話2『運命の扉を叩き続けよう』

これはネットで拾った話ではありません。

結構有名でご存知の方も多いかも…?

でも壁にぶち当たった時に、こうした話は私たちに勇気と希望を与えてくれると思います。

記憶をたどりながらの私なりの記述ですのでご了承くださいネ。

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ある実在の男の話。

父を早くに亡くし、大変貧しかった彼は、工場で働く母を助ける為に、6歳から料理を作り、幼い弟妹の面倒を見ていました。

僅か10歳で、農場に働きに出たので小学校しか出れず、
その後は独学で学びながら多くの仕事に就きます。

40種に渡る転職を繰り返し、タイヤのセールスをしている時に知り合った
石油会社の支配人に勧められ、ガソリンスタンドで独立したのは30代後半でした。

彼は真心を込めたサービスで利益を得る事を信念としていましたが、
大恐慌と干ばつにより、農民への売掛金が回収出来ずに倒産してしまいます。

その後も事業はことごとく失敗。正に挫折の連続で半生が過ぎていきます。

失意の中、物置を改造し、僅か6席の小さなレストランを開きます。

片腕である愛する息子を失ったり、火事に見舞われたりの不幸も乗り越えて
懸命に働きました。

素材にこだわった手作りの味と、細やかなサービスで、
いつしか行列が出来るほどになりました。

しかし運命はまたも彼を翻弄します。

新しいハイウェイの建設により車の流れが変わり、客足が途絶えてしまいます。

そして店を手放す事になりますが、負債を清算した手元にはいくらも残りませんでした。

彼の財産は、一台の古びた車と鍋、
そして子供の頃母が作ってくれた味を再現したレシピだけ…。

この時彼はすでに65歳。
年金は余りに少なく、とても生活が出来ない…。

だけど研究を重ねて作り上げた母の味をより多くの人に味わってもらいたい。
何より美味しいモノを食べた時の幸せそうな人々の笑顔をもっともっと広げていきたい。

彼は一念発起して、そのレシピを売る事業を始めました。

当時はまだFCの概念が無い時代。
レシピを教える代わりに売上の一部を支払ってもらうと言うビジネスが
そうそう受け入れられるはずもありません。

来る日も来る日も、レストランやドライブインに飛び込み、ある時はバカにされ、
ある時は蔑まれ…断わられ続けて、手持ちの資金も底をついて来ました。

しかし彼は諦めませんでした。

彼は決して人生を諦めなかった。

やっと彼の提案を受け入れてくれたレストランはなんと‼ 1010件目のレストランだったのです。

もしも彼が1009件目で諦めていたら…。

今のケンタッキーフライドチキンはありません。

彼の名前はハーランド・デヴィッド・サンダース。

余りにも有名な実話です。

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11月21日は始めて日本にケンタッキーフライドチキン1号店が出来た日だそうです。

人生はいつ花開くかは神のみぞ知る。
決して諦める事無く、運命の扉をノックし続けたいものですね!

どんなに重い扉でも、扉である限り必ず開くものだから…。