私はこれまで様々な仕事をしながら、その収益から
主に東南アジアの貧困に苦しむ子供たちに向けてのドネーション活動をして参りました。
それは綺麗事ではなく、自分のトラウマとの戦いでもあったからです。
私の半生は暴力と貧困に彩られていました。
パトカーや救急車、怖いおじ様方(プロ?)などのご訪問の多い家庭環境の中、
日常的な虐待・母との死別・叔父の自殺etc…。
父が再婚した小学校4年生からは主に独りで暮らしていました。
どうやって生活していたのか、今では思い出すことも出来ません。
学校ではささやかないじめにもあい、保健室に登校したりしていました。
テレビドラマのような普通の家庭への憧れと、
とある事件をきっかけに当時世話になっていた祖母の元を飛び出したのは18歳の頃。
野宿をしたり放浪生活の末19歳で母になりました。
働かない夫は安易な借金が膨らみ逃げてしまうし、
子供のためにと働きすぎて私は身体を壊してしまい、
生木を裂くように子供とも別れる事態になりました。
しばし自暴自棄の月日を送りました。
鬼のように働き、狂ったように遊び、身体は蝕まれていくばかり。
そうこうする間にも老人介護を経験したり、信頼する人に騙されたり
無知で愚かで幼い私はただ濁流に流されているような人生だったのです。
死のうとしたり、殺されかけたり、脱毛したり、血を吐いたり…全くもって忙しい…。(; ̄ェ ̄)
それでも根っから負けず嫌いだったのか?諦めが悪いだけなのか?
家族に恵まれなかったから、周囲の人達に恵まれたのか??
何度も死の淵から蘇り、何度もどん底から這い上がって来ました。ヽ(*´з`*)ノ
仕事については書ききれません。
常に二足のワラジを履いていましたから、ありとあらゆる業種 ・
知らなくてもよい業界も覗いてきました。
自分を支えるために、人生を変えるためにあらゆる宗教の門戸を叩きましたし、
資格マニアにもなりましたし、自己啓発にも相当大枚をはたいてきましたから
いちいち書いてもいられません。(^_^;) (能書きや肩書きなんて★※だと思っています…。)
うんざりする程の波乱万丈な人生ですが、小児ガン病棟の子供達との出会いと別れから
生まれ変わろうと、生き直そうと決意したのです。
生かされていることに感謝し、どんな経験でも経験こそ宝物だと思い
こんな私だからこそお役に立てることもあるはずだと考えました。
幸い、数々の著名な方達と面談を重ねるうちに、
世界的なビジネス集団や スキームを持つ方とご縁を得て弟子入りし、人生が変わりました。
今は志ある人のバックアップをしながら、更なる夢の実現を目指しています。
私の夢は世界中の子供達が笑顔でいられるように
例え一瞬でも、生まれた幸せを感じられるような《希望の種》を蒔きたい。
そのためにはまず子供達を取り巻く環境を改善するために
大人である私達の心の環境をもっと豊かにして行きたい。
真の豊かさを追求して行く仲間のコミュニティを創造しようと考えています。
『 陽気に♪気楽に♪景気よく!』 を合言葉に…。
長々と最後まで読んで頂いてありがとうございます。(#^.^#)感謝♡